吉村順三先生は十分に著名な建築家だと思いますが、その作品のすばらしさに比べると、いまひとつその名が知られていないような気がする。吉村先生の作品を愛するものとして、そのような現状を少し寂しく感じている。
その理由を私なりに考えると、それは吉村先生の作品はあまり主張が強くなく、インパクトが弱いためではないだろうか。「個性」を重要視する今の風潮においては、騒々しい他の作品群の中に埋もれてしまうためではないだろうか。その「我が強くない」ところが吉村建築の魅力だと思うので、これはいたしかたない。
また別の理由として、彼(吉村先生)や彼の作品を端的に表現する言葉がないことがそれを助長しているように感じている。それについて私は、「伏我(ふくが)」という言葉が良いのではないかと提案したい。
「伏我」は辞書には記載がなく、私の造語になるのだろう。「伏」という言葉を選んだ理由は、「我」が強く出ていないが、隠れているわけではなく、ましてや無我のように我が無いわけではない。きちんと見ようと思えば吉村先生の我がしっかりと見えるのだか、それが強くでしゃばっているわけでもない。そして服従のように弱々しかったり、屈辱的だったりしておらず、雌伏のような秘めた力強さを感じるからである。
もっと良い言葉をお持ちの方がおられましたら、ぜひ教えていただきたく、お待ちいたしております。
2013.07.20 |
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それは普通の家だが、とても美しかった。
その家の天井や壁は、ベニヤ板や杉板、漆喰塗り、コンクリートブロックなどの高価とはいえないものからなり、目につくような装飾はない。やや特別なものとして、居間の壁に暖炉(ファイアプレース)があるが、それとて白く塗られた鉄板でつくられた簡素なものだ。しかし、そこにある安らぎは温かくしっとりとして、自分が何かに守られているかのようだ。それは「南台の家」と呼ばれ、そこには建築家である吉村順三がおよそ半世紀にわたり6回の増改築をしながら住んでいた。彼は数多くの住宅の設計を手がけ、それらの家々に彼は入手しやすくかつ安価な資材をもちいながらも、住み手が心地よく便利に暮らせるようにと心を砕いたという。
そのような「普通」の家でありながらとても美しいということは、私に「用の美」という言葉を想起させた。「用の美」とは民藝を提唱した柳宗悦が民藝の美の大切な要素として述べた言葉で、手近・身近な材料を使い、実用を主眼として作られた品々におのずとそなわってくる美しさのことであり、柳はその美しさを「発見」し拾いあげた。
吉村は、住み手の快適さをもっとも大切に考え、それに寄与しないものは取り入れなかった。そのようにして使いやすさ快適さを求めて彼が作った家は、簡素でありながらも上質な美しさが感じられるものとなった。それは彼の「我」が美を損なうことがなかったからではなかろうか。そして彼の作った家は、用の美をそなえた現代の民衆的芸術の家、すなわち現代の民家といえるのではないだろうか。

2013.06.08 |
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