「伏我」の建築家
吉村順三先生は十分に著名な建築家だと思いますが、その作品のすばらしさに比べると、いまひとつその名が知られていないような気がする。吉村先生の作品を愛するものとして、そのような現状を少し寂しく感じている。
その理由を私なりに考えると、それは吉村先生の作品はあまり主張が強くなく、インパクトが弱いためではないだろうか。「個性」を重要視する今の風潮においては、騒々しい他の作品群の中に埋もれてしまうためではないだろうか。その「我が強くない」ところが吉村建築の魅力だと思うので、これはいたしかたない。
また別の理由として、彼(吉村先生)や彼の作品を端的に表現する言葉がないことがそれを助長しているように感じている。それについて私は、「伏我(ふくが)」という言葉が良いのではないかと提案したい。
「伏我」は辞書には記載がなく、私の造語になるのだろう。「伏」という言葉を選んだ理由は、「我」が強く出ていないが、隠れているわけではなく、ましてや無我のように我が無いわけではない。きちんと見ようと思えば吉村先生の我がしっかりと見えるのだか、それが強くでしゃばっているわけでもない。そして服従のように弱々しかったり、屈辱的だったりしておらず、雌伏のような秘めた力強さを感じるからである。
もっと良い言葉をお持ちの方がおられましたら、ぜひ教えていただきたく、お待ちいたしております。
2013.07.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 吉村順三先生
